新潟県・十日町商工会議所講演録

 (青年部街づくり研修会より)

 

 演題「若者よ、自らの手で街に明るい未来の灯を灯せ!」

~街づくりと事業繁栄の原理~

 

講師地方産業経営研究所 所長 田上康朗

 

 

(このまちも衰退の道に入っている)

送られてきた資料を見させていただいて、この十日町市のこれまでのプロセスも他所と大差のないアフロ一チをたどっていると思った。

これじゃダメだという同じ狢の穴の中に入っている。

人間の思考というのはどうしても同じところに入ってしまうということなのだろうか。

つまり地域振興イコール画一化、均一化。どこかにモデルがあって、それに足りない分を補充し、遅れた分を追いつかねば、というパターンだ。

これは、市長や行政のお歴々がテープカットするセレモニーの時が最高のにぎわい、以後衰退という箱もの型だ。この型は短期的には話題になりにぎわいを見せるが、以降急激に減少の途をたどることはわかりきっていることだ。

画一化が一極集中を生み、最終的には過疎状況を導いていることを多くの人は知らないか無視しているのである。

私は、地域振興に関係した仕事を依頼されたら、まずその市町村の総合計画書を見ることにしている。皆さんもご覧になったら、行政がいかに机と頭だけで、実態と現場や土地を見ないで、あるいは分からないまま作文しているかがお分かりになるだろう。

役人が作った、将来予測、たとえば人口。過去ずーっと減少してきているのに、5年先、10年先の推定人口は増加になっている。総合計画書が作成されるたびに同じことの繰り返しである。つまりすべてはずれ。

民間ならこんな作文を繰り返すスタッフは首だろう。しかも伸びると言うことを前提に諸々の施策を起案しているから、たいていの事業は赤字になる。当然である。それだけではない。しかも以降の地域振興の重荷にさえなっている。それでまた過疎がいっそう進行している。笑えない状況である。

 

(事実認識から始まる)

これまでの衰退原因を押さえ、それに対する対策といったことはこちらに置いといて、聞こえの良い対策やどこかのコピーを、どこから国や県、先進地など別のところからもって来て、衰退という病原菌の上に積み重ねていくやりかただ。

非難している訳ではない。呆れているだけだ。これをお金の問題にしたらどんなに無欣なのか。考えて欲しい。

盲腸が悪いのに痔の薬を買い集めているようなもの。盲腸が直らないうえに痔は悪くないので使いようがない。どうにもならない。何もならない事をやっている。それで我々の税金が使われている。

何より時間、すなわち住民の命が費やされているのは哀しい。

それで、金がない、金がないといっているのは、行政の首長さんだ。

青年部でもJCでも、農業や林業関係者でも、地域振興に関係するいろんな活動が行われているが、それらが、こうしたパターンならむなしいではないか。

個々住民の心からの欲求とはとうてい思わないが、これが諸団体役員、議員の段階になるとどういうわけか大なり小なり。あれもこれも欲しいというパターンにすり替わっている、その答えがいわゆる「箱もの」といった形で実現される。 

こうしたパターンをほとんど地場産業の歴史は共通してもっていて、そして共通して今、衰退している。そして恐ろしいのは基幹産業と心中する形でその周辺市町村が衰弱にもだえていることだ。

これは基幹産業の、昔の繁栄と栄光を何とか取り戻そうという作業プロセスで、市が金とエネルギーを消耗しつくしていたという歴史があるのだ。

何を言いたいか。

つまり衰退するものを支えるということは市の発展を阻害するぐらいの莫大な金とエネルギーが消費されるだけでなく、地域のいっそうの衰退を加速することになりかねない、ということ。これをいいたいのである。

最近では、宮崎県と「シーガィヤ」の関係がその典型的事例である。

まちのエネルギーが過去の基幹産業の衰退をくい止める、下がるものを底上げするのに費消されることは、その基幹産業の振興にもまちの発展にも関係のない、つまり負の投資にすぎない。

誤解しないで欲しい。基幹産業を捨てろとか放置しろとか申し上げているのではない。

負の発想、負の投資ではなく、長期展望を見据えた起死回生のための投資に振り替えなかったら基幹産業と地域が手に手を取り合って心中することになる、と申し上げているのである。これが一点目。

 

(一次産業への投資の意味)

たとえばこういう発想がある。郡部では当然だが農業が基幹産業という所がほとんどである。農業の実態というのは、一部の町村を除けばすでに基幹産業の地位を失っている。

林業もそうだが、補助事業や奨励金が、国庫、県庫からどんどん出される産業が、増収増益、かせぎの担い手であるわけはない。

地盤沈下、衰退をくい止めるどころか、かつての体裁を維持するためのお金といった方が近いだろう。

そうだとすると予算というのは年々きつくなっている中で、基幹産業の方にお金が大きく振り分けられる、つまり農業の方にお金が使われる。あるいは市民や町民の関心がそちらにエネルギーが使われる。

とするとこれ自体が負の投資であるだけでなく、他の投資の制約、未来投資、次のエースを創成する機会損失を逸することの「立ち後れ」が大きいマイナスとなって、地域住民に振りかかることになる。

これが地域衰退の本質的な理由であり、図式なのだ。

農業を例に取ったが、これは農林水産すべて、つまり第一次産業、そしてメーカーが共通して持つ問題である。

だから繊維も一緒。繊維というのは糸を作り、編むわけだからメーカーだ。農業も土から種蒔いて生産物を作るわけだからメーカー。だからみな同じ。

こうしたところにお金を投じるわけだ。だから捨て金になると言っている。

きわどい言い方しているので、繊維や着物関係の方は誤解しないでほしい。着物を伸ばすのに、生産の方にお金を投じちゃ、捨て金になりますよ。投資する場所が違うのではないですか、と申し上げているのである。

理由は、先に説明した。

 

(負の投資からの脱却を計れ)

経済の低迷には流通の問題がある。供給の量に対して需要が少ないのだ。このギャップが値段を下げても売れないという状況、不景気を作っているわけだ。

それにも関わらず過去の、またこれからも同様の施策が繰り返されるであろうが、生産調整のため、機械買い上げに金を投じる。また消費が落ちたら、さらに機械をつぶす。太れないで困っている人に、やせ薬を飲ませるといったことやる。

だからじり貧になったのです。

売れないのであれば売れるように、経済対策は消費が上がる方にお金を投じなければいけない。こんなこと子供でもわかっている。

ところが売れるときは作れ、作れといって増産奨励していた役所が、売れなくなったら、機械買い上げるから減産しろといって、負の投資を進める。

言うまでもないことだが、投資は、見返り、投資効果が高く、長く続くところになされるのが常識である。この常識が理解できる人には断定してもよい。

行政において再生産と継続的に税収入の望める投資は、間違いなく「街」づくりなのだ。しかも新たな金を用意する必要はない。

これまでの負の投資を振り替えれば十分捻出できるし、この投資によって第一次産業、メーカーも負からの脱却が計れるのである。

 

(売れる構図をつくれ)

 料理が売れれば、お店も儲かるが、食材メーカー、第一次産業も儲かる。これが流通というものである。

換言すれば、流通のひずみが街を衰退してきたのであるから、売れないという構図を「売れて生産が間に合わない」という構図に置き換え、ものやサービスがどんどん売れる街をつくるべきなのだ。

売れる街づくりこそ、最高の収益を生む投資であり、商店街の便宜性がレベルアップすることで社会人口増も確実に見込めることになる。

行政はこのことを確信することだ。そして放置しておけば衰退していく第一次産業、十日町市の基幹産業、着物の活性化が具現できるのである。このことを確認し合うこと。これが二点目。

 

(成長の石段づくり)

三つ目がシャボン玉吹くみたいなイベントを、即やめることだ。

シャボン玉を何十年、何百年続けても1センチもシャボン玉に厚みはでてこない。これがちょうど花火もそうだ。パーと散ってパー。ゼロだ。

今年もゼロからスタートしてパーと散って「あーよかったなあ」。これをやっていたら人生百年生きて百回やったとしても1センチもこのまちは豊かにならない。

何故か。それは商売でもまちもそうだが信頼のはしごを作る、石段積みをやらなければならない。我々の活動は今年1センチ伸びたら上積みされる。

さらに来年1センチ伸ばす。これを百年続けたら100センチ伸びる。これが成長、豊かになるということだ。

じゃあ、今までなにをやってきたかというと今年、石段を積んでまた片付けてまた来年、石段積んでまた片付けて、こうしたことを50年、百年やっても一番高いときが一段の高さにすぎない。

低いときはゼロ。その繰り返し。何年そんな街おこしや活動をやっても、やった人の自己満足、パフォーマンスは高まっても、その街の豊かさは、高まらない。

こうした経営講演会も一緒。何回話を聞いても、聞いた人の事業が発展しない。そんな講演会に、事業者、投資に対してハイリターンを求める人たちが参加するそのセンスが、彼らの事業の行く末を暗いものにしているように、私には思える。

講師はそれで儲かる。主催者も益になっているだろう。しかし聴講者は、聞いてなんぼの投資をしている。それが見返り少ない投資をしてあまり後悔した話を聞かないのはどうしてだろう。そんなことで限られた短い人生を費やすのか。本筋へ戻す。

やったものは、必ず信頼という形で見えないものでもいいからやはり積み重なって、いい結果として再生産されなければならないと考える。

 

(豊かになって貧する図式)

A町はK県下48市町村の中で40何番目かの所得であった。それを今は故人となられたJ町長が10年かけ、農林水産業の振興に勤め、町民一人当たりの所得を県下7-8番目まで上げて、話題になった。

が実態を見ると過疎化はいっこうに歯止めがかからないし、町のサイフは潤わず以前にまして貧しいのだ。

これがなぜなのか、ということで町長と企画調整課長が相談に見えたことがある。これほどの名町長でも、一人当たりの所得が豊かになって町が豊かにならないわけ、仕組みがわからないといわれる。

だからどこの首長も商店街がさびれても、産業を振興し町民所得が上がれば、街だって潤うと、極楽とんぼみたいに平気な顔できるのですね。

町内で稼いだ金を他所で全部使うということは、自費で輸血した血液を、他人に輸血すること。自分が稼いだ収入を、全部、隣の家庭に渡すのと一緒。 域外の商店街やスーパーに、市町民が金を落とすわけだから稼いでも、稼いでもその町は貧乏になる。都会で出稼ぎして金稼いだお父さんが、十日町の家族に送金せず池袋のスナックで使ったら、所得は上がっても家族の生活は変わらないって話したら、やっとわかってくださった。これ経験あることだからだ。(笑い)

 

(街が強くないまちは窮する)

市民の稼ぎが地元の商店に落ちる流通の仕組みを構築する、早い話が地元の商店街を強くしないと、商店だけでなく行政(市)は、やがて税収減で、首が回らなくなる。商店が潤うと基幹産業も潤う。消費者が市内で稼ごうと市外で稼ごうとどっちでもかまわない。

だが地元で消費してくれないと絶対困るのは行政だ。

自分のまちに所得が落ちると再生産ができる。また原価で仕入れ、売価で売るから原価と売価の差の分だけ確実に石段が積まれて、市が儲かっていく。

発展とは、いわばこの循環に入ることだ。この善循環に乗せない限り、どんな立派な報告書で、どんな立派な人の話をきいたとしても、街は発展しない。

私のいる鹿児島県など、典型的な素材供給型だ。だから、一所懸命がんばって働いても、材料費という原価しか稼げない。

これが静岡茶や神戸牛肉で販売されるときは、売価だから2倍は儲かることになる。着物だって糸で売るより、反物、反物で売るより着物にして売る方が、売価は高い。

進歩発展の原理というのは、今1センチ積み上げたら次の1センチと再生産システム、進歩発展の構図に入れることだ。そのためには、素材提供の街から、商品販売に強いまちをつくるといったソフト面、システムの構築が欠かせない。

なにはともあれ商店街がその市町村の顔であるという行政の強い認識がないと始まらない。このことは繰り返し述べてきた。

 

(日本一着物が「売れるまち」に戦略転換)

そう意味で,十日町市は日本一の着物「産地」ではだめだ。コピーを日本一着物が「売れるまち」に戦略転換すべきなのだ。

クロス10など囲い込んだところに一カ所に集めて売ろうとするからお客はおもしろくない。解放性あるところ、すなわち商店街をそぞろ歩きして買う楽しみを奪ったやり方しているから売れないし、街も寂れる。

産物としてお上が号令かけて売ろうとするから売れない。秋葉原みたいに、町中が和装品や関連品を売っている。そんな民活のまちを目指すのだ。

その点、西陣の方がまだ私の描くイメージ、着物の秋葉原に近い。これにもっていくために具体的にどうするかだが、その前に「日本一の着物の売れるまち」宣言してしまうことだ。これが3つ目。

 

(着物を日常性に取り込む)

四番目も和服業界についてである。着物は消費者が日常生活で、着なくなったから買わない。日常生活で必要が無くなったのものは売れない。残された用途はステイタスや財産的意味合いだが、和服を抱えていても着なきゃ自慢もできまい。

タンスの中では、デフレーの今、財産も目減りする、だからこの用途も望み薄い。

だったらスパーッと諦める。負に対する投資を諦める。そして個々の民活にゆだねてしまう。もっと早く民活に任せていたら、良かったろうが、今からでも遅くはない。その代わり消費者が和服を着る機会をどうやって増やしていくかというところに、金とエネルギーを全面投入することである。

この戦略へ明確に転換することである。

なんとかしろと言っても現実は変わらない。和服を着ない議員は、当選させない。公務員、諸団体も和服を着て仕事する。商店もバーも。そんなことできるかと言われるかもしれないが、できる。

前例が無くてもやればできるが、前例はある。鹿児島の指宿市がそうだ。

お巡りさんを除いて、夏期は皆、アロハだ。市長も議員も、銀行の人も、男も女もみなアロハをきて仕事している。十日町は、雪祭りの挨拶で市長が着ていただけではないか。

その着物代、一部でも市が出せばいい。雪祭りでメイン会場は、ばっちり金を取る。ただし着物着用者は無料とする。会場周辺には着付師を配置し、着物の着用をやりやすくする。こうしたところに行政はエネルギーとお金を使ってほしい。

 

(観覧者の視点で企画せよ)

雪祭りは、消費者のことを考えて企画されなければならない。消費する人が、来るか来ないか決めるのに、その視点からの論議が伺えない。

やる方の立場の論議を重ねたって人は来ない。こうしたことを観覧する人の立場から、物事を論議し、行動するといった方向へ、この根本構造から変えなければうまくいくはずがない。

やる方の論議では、総論賛成、各論反対を、まぁまぁの妥協の産物で集約する。ところがこれを転換し、消費者や観光客がどうしたら喜ぶかといった視点だけで論議してみてくださいな。いくらでもアイデアがでてくるんだから。

ただそれを、「そんなことは金かかってできない」といった留め男や留め女がとめてしまうのですが。

まちづくりでもそうだ。今、街づくり三法が、12年6月から施行されるがそれで街がどう変わるかというと根本的には一緒。三法だから大きくはメニューが3つしかない。この3つから選んだところで成功の保証が付くわけではない。

それを選択するのも、街づくりの主体者は消費者ではない。売る側(商店街)が役所と話しをして作るから、やはり消費者不在の街づくりで、この点今までとなんら変わっていない。消費者を主体にしない限り、たいてい失敗する。まちを利用するのは消費者なのであるから。

 

(買い手にゆだねよ)

お店だってそうだ。国や県市町村、そういった金を出す人たちの視点や売る人の都合で作られた商店街が、買う人、消費者に受け入れられるはずはない。

金を出しているから、出している自分が都合のいい街や店を作るといったことをやるからうまくいかないのだ。

俺が使う撒き餌だから、俺の好きなピーナツをといったことで、魚が釣れるだろうか。お金を出すことは見返りを期待して、金をから自分の店を自分の好きなようにと思って作るものがうまくいくわけはない。

相手にゆだねることだ。売れる店はお客に店をゆだねている。

利用する人は、消費者なのだから。作り手、売り手の論理がギャップとなって、消費者がソッポをむく。その結果店は売れない。買い手が街も店も、商品もサービスも選んでいることを、もっと直視して欲しいのだ。

お客が気に入らず、選んでくれなかったら1円も売上は入らない。行政や土建業は、一般消費者が選択できないところに、将来の悲劇を抱えているわけだが。

警察も、2つつくって市民が選べるようにしたらいい。江戸時代はそうでしたからね。交代制で。

どうもこうしたことを他山の石にすることは期待できないらしく、全国各地で消費者の選択に運命が依存される街づくりが、地域の住民、消費者と相談なしで作られている。

行政主導の街づくりでは、いかん、といっているコンサルタントや商業関係者にも、消費者、住民主導でないという認識はたぶんにないのでは。 

だったら同罪だ。役所と売る側、作る側、それに作る側の立場をサポートするコンサルタントが、机上の論議を重ねて「どうしたら繁栄する街になるか」といって作る。

「消費者、住民にとってベストのまちとは」といった視点を主軸に考えてはいない。せいぜい地域代表や消費者代表を委員に加える程度だ。これらはまだいい方。アンケートやモニター会議ぐらいで消費者の声を聞いたフリし、形式要件だけを整えるだけのところがほとんどではないでしょうか。

 

(欺瞞だらけの先進地)

それも地域独自性や革新性がプランに織り込まれるのなら、まだ評価できるのだが、先進地やモデルがないこと、前例がないことは議題にならないし、発言も総意の元に無視されるのが、こうしたプロジェクトのプロセスなのだ。

先進地視察に行くと、先進地で失敗事例ではさまにならないから、尾ひれを付けての成功談か、困難解決の苦労話である。

そして最後は「街づくりは人づくり」、「リーダーシップが成功を決める」といった、わざわざ先進地に行かなくとも聞けるような訓話を聞いてお開きだ。

ところがこうした先進地に2年目、3年後に行ってみると閑古烏がないていることが多い。

熊本の共同店舗、松橋フレンドの理事長、故浜田さんは、開店して間もない店は、どんなに売れていてもその成否はわからないといって、必ず6ヶ月後、1年後行って確認してからでないと信用しなかった。 

彼は「尻上がりに住民の支持が増え続ける店を作ろう」とした。まったく同感だ。最近地域の住民が購買をするのに作った共同店舗というより先進地視察の人達のために作ったと見まがうような施設がみられる。

またそうした施設を作ったばかりの事業者がさも百年の成功保証を得たかのように実態を嵩上げした教訓話をやる。中には、自分の店を放り出して、全国を飛び回って講演で明け暮れている理事長もいるとか。何をかいわんやだ。この近くの、上越のパワーセンターもそうだ。3度行ったが、いつも「わ」番での見学者ばかりだった。

彼らが買い物するわけがないのに、彼らを意識した見せ場だらけの施設だ。

今やその見学者も一巡したから、閑古鳥が鳴き始めている。ジャスコのせいじゃない。もともと買う側からの視点が脱落している。そういう意味でのモデル店だ。それをコンサルタントやジャーナリストがヨイショした。こうした噴飯事例が多いのだ。話を元に戻す。

 

(街づくりは、化粧落としから)

まちづくりというのは、まちか発展する側面とまちを構成している1店舗1店舗の事業が発展するという両方の側面をやらなければいけないが、繁栄の原理というのは一緒なので置き換えて聞いていただければ有り難いです。

まちづくりの名人がいるとしたら店作りの名人であるし、事業発展の名人である。またその逆も言える。衰退するところは両方ダメ。

ところで市の総合計画書というものをもう一度見て下さい。3年後、5年後は全体の数字が良くなっているでしょう。ところが昭和50年には5万5千人の人口が、今、4万5千切っている。

ところがこの減少理由は、分析されていない。

先に述べたが、原因を見つけないで、対応・対策がでる。しかも目標人口は増加している。一方高齢化、少子化と叫んでいるのにですよ。これはウルトラCだ。なかなかできないことだ。

しかし希望観測や未来がバラ色っていうことが悪いと言っているのではない。市民に明るい未来を示すことは、重要なことです。しかし、人口一つとっても作文で人口が増加することは絶対ない。衰退する現実を変えることはできない。

バケツの水が減ったら,底の穴をふさいでから、水を注ぐ。こうした常識的なことやらないとまちの衰退止められないと言っているのだ。

まちをつくる主管になっているところが下がる現状を見ないで、根拠、裏付け乏しく、上がる方に数字をもっていって予算を組んでいる。

私たちはこの化粧をはがした上で、実態をつかむ。そこから原因を浮き彫りにし、原因に基づいた対処療法を施さなければならない。

だからこそ行政威依存でなく、市民が立ち上がらなければならない。私たちがリーダーシップ取って自分たちのまちを振興して行かねばならない。

これが地域振興・活性化の王道なのです。いわば粉飾しているから、化粧をはがすというよけいな作業が伴うけれども、化粧の上塗りを続けていったら、自分たちのまちはどうなるか、といった危機感の共感からスタートさせなければならないのが、今の街づくりなのです。

次にやる作業というのは何故街の購買力、自分のお店の売上が落ちたかを冷厳に分析することです。

企業が倒産すると新聞に出る。行政が倒産するという形は表には出ない。全部市町村合併だ。

 

(マネとハコはじり貧の道)

先進地視察してマネをしても、衰退した原因が違うのに、そんなことは無関係に、先進地にあるものを欲しがる。あるいはやらない理由をほしがる。先進地に必ず参加し、先進地事例を一番欲しがるのは行政。何しろ前例ありと均一化は本能的に好きなのですから、行政マンは。

一方、箱もの付きは、首長以上に、それに天の声をだす先生方。箱は形があるし大きいから目立つ。それに集票に即効性がありますから。先生方、死んでから感謝されるより、当面の得票ですからね。それで票をもらおうという形でいろいろ箱物を持ってくる。

箱物をもってくるという時は、かならずこのまちにない物をもってくる。ない物を追求するために先進地視察やれば、無いものがいっぱいあることがわかる。無いのもイコール住民のニーズとしたら、おそらく箱ものを永遠に求めることになろう。

それでまちは豊かになるか。とんでもない、超貧乏になってしまう。維持管理費は、地元負担でこれが倍加し継続されるからだ。

永遠に続くということは、続かなくなったときは、金がなくなったとき。金が続かなくなったというのはこうしたことの間に、まちのエネルギーや金が枯渇したときだ。

今多くの市町村はその方へ急速な勢いで走っているといってよいと思います。

何かというと、ない物を欲しがるという諭理を捨て、あるものを生かすという論理に戦略転回できないと、街を作ることが、そのまちの衰退を早めるという皮肉な結果を招くことになるのです。

 

(壊す街、守る街、そして画一化ということ)

大分の杵築市という天領のまち。昔の天領ですからそのまま建物や道路や石段というものがキチン.とそろっている。ところが、名前を言ったらみなさん方、誰でも知っている著名な方、別名デストロイヤーがいて、この古い家並みを破壊したのだ。武家屋敷の家並みを車社会への対応ということで、建物を壊し、道を拡幅し、そこに人工の古い家並みを作った。壊せば、壊し賃とそこに何か新たに何か作るという2つの駄賃が入る。

これは不況対策としては効果的でいいが、そうしたことで、杵築市の歴史のある街並み、すばらしい景観という財産を失うのは居たたまれない。

しかもこれを壊して白黒の江戸風のまちづくりを復元したのだ。本物を破壊し、偽物を作る。こんな腹の立つ話はない。

こんな事例はここだけではない。佐賀県が九州で飛行場ないのは、我が県だけだということで飛行場作った。隣まで新幹線が来たから誘致運動いっぱいやって、わがまちまで新幹線を通そう。こういった話、どこにでもある。

だが、これは画一化だ。画一化というのはそれぞれの個性が消えてしまうということ。それからもうひとつは必ず大きな破壊が、側面にある。このことを私たちは見逃してはならないのだ。

景観を、土地を、故郷を破壊する。破壊したら、二度と返らない。復元は偽物なのだ。そうした破壊され失うものと、見返りにえられるものとの貸借バランスを長期的視野からみて、判断する。その姿勢、冷厳さが足りないと思う。

 

(オクレに福をみる)

何を言いたいか。今あるものを守っていくということが金とエネルギーもかからないし、そして他の地域がどんどん近代化されればされるほど、残ったもの、守ってきたもの、それらが立派な資源、観光の大きな目玉になる可能性も、判断の際に加えて欲しいということです。

このことを20年、言い続けてきた。

だが、その頃は、ブルドーザーにパソコンつけた人がいて、新潟県には、怖くて来れなかった。(笑い)

青年部で、見に行った八尾がそうだし、高山、近江八幡、愛媛の内子など、最近見なされ、注目され始めた。でもまだ主流ではない。ぶっ壊す方が爽快だし、目立つし。逆にいえば守ることは地味だし、ネクラだし、それになんと言ってもめちゃくちゃ辛抱と根気がいる。

ところで観光の基本というのは、目の前に見える風景に飽きた人が他所にいくわけですね。だからこのまちが近代化されるということは、観光客にしてみたら、ここにミニ東京、似非銀座を見ることになる。

ハマチの造りやエビフライなどいくらでも東京で食っていて珍しくもない。街は偽物、食事はエビフライではそこへ行く必要が無くなる。

 

(変化する自然こそ財産)

ところがどんどんまわりが近代化され、昔からの古い家並みや伝統が消えていくと、それだけ残ったところに値打ちが付く。今、成功している事例は保全型。

 新しいものを欲しがる前に在庫調べをやってこの在庫をやって使おうかという方がはるかに投資が少なく、いいまちが作れる。

地元の皆さんはお気づきじゃないかもしれないが、このまち十日町市はすばらしい財産をもっている。ただそれが中にいる人には見えない。

観光客というのは自分の所は見慣れていておもしろくないから違った風景を見に行きたいのだ。

私はほくほく線に乗ると、座るのがもったいない。カメラ片手にそわそわしてしまう。

ここ8年、2ケ月に1回の割りできていることになりますが、その一カ月の間に、目茶苦茶風景が変化している。だから毎回飽きない。つまりリピートがきく。というのは、自然の移ろいがあるからです。自然というのは変化している。

コンクリートの壁の中で生活している人には、この自然の変化はたまらないほどの感激だ。コンクリートは秋になっても紅葉にはならないから。

周りが変わるところの中に自分がいるということが生きているという実感なのではないでしょうか。

変化する物があって目が動いたり手足が向いたりして活動する。人は何でこの変化する自然という財産を、変化しない人工物に切り替えるのだろうか。生きるためと言うが、本当にそうだろうか。

 

(地域興しに堂々対価を求めよ)

地域興し、街づくりのための時間、エネルギーというのは、たいていJCとか青年部のエネルギーだ。時間もエネルギーも命の消費です。

だから、私はどん欲に代償を求めていいと思うのです。

そうした得られるべきものが、あるからやれる。事業で投資をするのは,代謝、見返りがあるからでしょう。

だから堂々と見返りを求めるべきだと思うのです。それを惜しんではダメ。得るということを前提にしてエネルギーを消費するのであれば、少しはみなさん方のご苦労が報いられる。犠牲になられた家族にも申し訳立つ。

自分に還元しないきれい事の奉仕では、息の長い街づくりは続かない。ボランタリーではあまりにも、むなしいではないですか。

 

 

(リピート性こそ成否の決め手)

五番目。自分の顔は、見えない。鏡を見る以外は。相手から見えるがこちらは見えない。そうすると自分のもっている財、在庫、いい物も悪い物も見えない。相手のもっている物は見える。

自分は一人。相手は人数が多い。その相手は全部個性があって顔が違うから、欲しいものはいっぱいある。それを次々作るのが近代化と思ってやっている。

でも私には、どうしてもこうしたことが近代化とは思えないのです。それにどうして近代化を求めるかわけがわからない。こんなすばらしい自然と景観があるのに、と思う。

今、ほとんどの観光地は消しこみされている。一度行ったら消し込んで二度と行かない。お客が悪いのでなく、滝とか吊り橋とか古跡でしょう。リピートがきかないから徐々にじり貧になるのは当然なのです。

九州ではシーガイアがそうだし、ハウステンポスやスペースワールドなども消し込み型だ。

ところが「ここのラーメン屋はとてもうまかった。もう二度と行かない」という人はいない。逆だ。

「うまい店」、「いい店」はリピート性が高いのだ。この繰り返し、リピート性が無いと、観光は産業とならないし投資を回収することも難しく、事業はきわめてリスキーなものになる。

だからまちづくりの成否のポイントはこのリピートが、いかに繰り返し永遠に続いてくれるかにかかっているといえます。

 

(商品が本質、商品は二通りある)

店舗を豪華でユニークな目立つファーサードにし、それに惹かれて多くの人々が集まってきたとしても、本質お的には売上には関係ない。お客は店を買うわけじゃないから。

買うのは商品だ。商品が本質です。

商品にも二通りある。冷蔵庫は毎日買う人がいないが、鮮度がよい刺身やうまい豆腐なら毎日買う人だっている。世の中にはリピートの頻度が高いものと低いものとがある。観光は、一回見たら消しこみという形の箱物では、採算に合わないし、そぐわない。どうしても後者、刺身・豆腐型へ持っていく必要がある。

まち興し、ムラ興し、地域興し、観光興しが永続的に成果を上げ続けるためには、どうしても繰り返し来てくれる条件を充足しなければならない。

それは商品であれば食べ物であるし、小間物であるし、あるいは人との交流といったものである。

 

(ほとんどの観光に抜けている要素)

交流というのは場があって、そこにできれば橋渡し役がいれば最高だ。ところが「場」としては申し分ないとしても、橋渡し役がいない。

いないというより元々観光の要素の中に欠損しているといった方が近いかもしれません。

たとえば京都から来た観光客と東京から来た観光客が偶然に十日町に同じ日に、同じ時間にどこかでばったり、そうしたことはあるだろう。

しかしその二人が、名刺交換しあい、以降末永い交流が、というのは奇跡だ。この奇跡が誰も奇跡ともせず、またもとのところに帰って行く。

このまちの人たちは何をやっているかということだ。接着、介在をしていない。出会いの場所であり、それを取り持つ地元住民の役割という認識が、ほとんどの観光地に抜けている。

鹿児島大島郡笠利町の(株)ばしゃ山はその「交流」を観光資源の中心に据え希有なところとして、私は高く評価している。

奥 篤次社長を先頭に全員で、観光客同士、観光客と当社のスタッフ、地元住民との交流の場を、積極的に「作っている」のだ。

観光は想い出産業、お客の思い出づくりが私たちの仕事。その想い出は、人と人との出会い、ふれあいに勝るものはない、という奥社長の哲学から生まれたもの。

ここでの数日間は、一生忘れることのできない思い出になると、ばしゃ山村を訪れた観光客は口をそろえて言う。

その理由は、すてきな景色はあくまで背景・舞台。あくまで「人」が主役。この村を訪れるフツーの人たちが、ここでは王様、お姫様になれる。これは人生の絵巻きだ。夢だ。こんな夢ならさめないで欲しいし、何度でも見たいと思うのは当然だ。

だから高料金に関わらず、長期連泊とリピーターで一杯になるのである。

お別れの時には「またここで逢おうね」と、皆で握手する。ドラマの主人公になった気分に浸れて、帰るとき涙ぐむ。

 

(人を主役に立てたふれあいと感動の場)

ところが、ほとんどの観光地をみたら、コピーでは感動とか、共感とかうたっているけれど、売る側の押しつけだし、感動の沸騰点に達していない。

かりに人と人の出会いとか交流をうたっていたとしても、内実はものを売りたいから、そう言っているだけだ。売りたい魂胆がみえみえだ。

そうしたところは観光客の方も、消し込み、時間つぶしの場所として設定しているから一回見たら、もう用がない。皆さんも初めてのところはわくわくするが、二度目はわくわくしないでしょう。

恋人や友達だったら、一度あったから「もういいや」ではない。毎日でも会いたいはず。そうした人と人とのの繋がりをどうやってつくっていくかということが、観光の大きな柱だ、と私は思う。

 

(車優先偏重が、人を遠ざける)

こうした、あまり金のかからない側面(機能)には目を向けず、目に余るようなハードものには、借金してでも飛びつく。

おかしいことだけれど、これが現状だ。まちづくりもそうだ。人の出会いの場、交流の場、これがまちの主機能。商店街の本来の機能。地域おこしの本質だ。人間が主役なのです。

人が出会ってふれあうための手段、ステージとしての商店街やお店があったりする、と考える。こうしたロマンがあっていいではないですか。

それなのに「人」をよそにおいといて、車対策、駐車場問題に首っ丈だ。「車を運転しているのは人間なんだぞ。主客転倒するなよ」って言いたくなる。

まちがにぎわっていると言うことは、多くの人が歩いていることであって、車が走っていることではないのです。

十日町はどうですか。新装なったアーケードの下に人は居ない。でも車道の車はいっぱいはしっている。

人を乗せて、、(笑い)

観光も街づくりも人が主役という.諭理に立ち返って、見直してみればいくらでも繁栄の道は見つかる。事業の繁栄、生きること、といった本質というのは人の動きにある。人がどう動くかであらゆることが決まる。

基本は人。

ところがこの人という部分が商店街からゴソ一ッと抜けている。観光コースからゴソーッと抜けている。いつの間にか人間が主役ということが抜けて、物を中心に据えた発想をしている。

車社会なんて言い方して。車が社会をつくってるのじやないのにね。

物が売れないというのは人がそのものを買うという行動をしないから。「人が」買いに来ないからだ。人が来て、それを買ったらその分売れた、ということになる。

「このまちはだめだと」いっているのは、たいていそのまちの人。住んでいる人が保証しているのだ。だからどうしてよその人が来るだろうか。

極論でいえば、まちを豊かにするには、町外で出稼ぎをして、自分の町で使う形が一番いい。

その点観光産業というのは理想的だ。また町内以外の人、世界中の人が観光客だから、無茶苦茶いることになる。他所で稼いだお客が、ゴミは他所で始末して、この町ではお金を落とす。これがベスト。

ところがダメ町では、お金を他所で落としてゴミをここで落とす。こうした町が仮に人口が増加したらどうなるか。まさに下り坂で、アクセルを踏み込む結果になる。

 

(商店街を活性化させ無ければならない意味)

十日町市は過疎ではないが、人口が減少している。

地元購買率を把握できる調査は見あたらないので、人口1人あたり購買額を県平均と比較して類推してみると、「まあまあ流入かな」と思う。

しかし、一方、市内大型店の面積シェア60%。それで売上構成比が、大型3店舗で45%前後ですから一店舗あたりシェァが15%になる。残りの65%を地元640店舗で分け合い、一店舗あたり0.1%のシェアということになる。つまり15対0.1の戦いになる。

過疎というのは自分の所の人口を増やすのがひとつ。だが人口増えてもこのバランスが崩れない限り、大型店のために人口を増やしてやったという結果になる。

駐車場も足りないと、以前やられた街づくり報告書で指摘されていたが、このまま増設しても大型店から感謝されるだけということになる。

じゃどうしたらいいか。15対0.1の関係を、逆転させることだ。できるのか。

できる。商店640店まとめれば、シェアは45対65になることを忘れてもらったら困る。ここに商店街を有機的に一体化させる、街づくりをやらなければならない大きな意義がある。

このことを逆に言えば商店街が充実していれば、大型店は不要だし、負けないということだ。

繰り返す。商店街を活性化させないと、おどすわけはないが、行政職員の給料もでないぐらい、歳入(税金)が枯渇してくる。

自前で人口が増えなくても、儲かる構図にすれば人は増えてくる。儲かる構図にするということは、先ほどふれたが他所から人が来て、金を使ってもらうこと。すなわち街を強くして購買力の域外流入を高めることと観光だ。

以上どちらかをみなさんが選択したらいい。もちろん両方やってもいいから3つの選択肢がある。

 

(ほくほく線には、都会人が忘れていた暖かさがある)

ところで、ほくほく線というのはもっと大切にして有効活用しなければならないと思う。短い路線だが、特に東京からのお客さんは、よその町の一番きれいな庭を眺めながら十日町に入ることになる。

最高だ。トロッコ電車と同じだ。あの醍醐味を味わえる。すばらしいと思う。

あれは特急でないからいい。通勤列車ぼくないからいい。普通、電車は車まったらドアは開くが、この列車は開かない。親切な人がいて「ボタン押したら開くよ」と教えてくれた。冷や汗が、嬉しさに変わった。ドアが開いてうれしかった。山手線では体験できない乗客同士のふれあいがある。

そもそも都会ではそんな親切な人はいない。

みな、むつーとして乗っているではないですか。列車の中の人は親切だ。学生など、小雀みたいに笑って話している。観光客はまずそのことを感じる。

だから「ああ、いいところにきたな」と実感する。

これがふれあいです。物と物、物とお金の動きの中に人のやさしさ、人が介在する仕撒けというのが、経済発展の要因。そういったことを感じさせてくれるものが「ほくほく線」にはある。湯沢まで一千万人来た客をどれだけここに来させるか。ほくほく線が赤い糸だ。大切にしたい。

と同時に、観光客が来るということは、相手が選択するのだから来てもらえるだけの条件をこちらの方で補っておかねばいけないけれど、その条件が着地点の湯沢で充足されるのであればここまで来やしない。

湯沢まで来た人々が、湯沢にないもので、すばらしいものがこの十日町にあるとすれば何だろうかという式を立て、答えを皆さん方で出すことです。

今、たまたま湯沢からのこと例には話しましたが、金沢、直江津、遠くは関西からの窓口も開いたわけだ。

こんなすてきなほくほく線、もっと活用すべきだと思っています。

 

(資産でなく流動性で、無い物ねだりやめある物磨き)、

私が、一貫して訴えていることは新たに何か作るといったことでなく、今あるもの、金のかからないものどうやって生かして行くかということ。その今あるものが、十日町にはいっぱいあると申し上げているのです。

そんな風に論議を進めて行ったら皆さんのご活躍、貴重なエネルギーが不毛・むなしくならずに確実にまちが発展する方向を向くと思うのです。

昔は金持ちになる秘訣は不動産を持つこと。今貧乏になる秘訣は不動産を持つこと。不動産を持っていると100万の土地がいつのまにかタダ同然になる。過疎地はもっと落ちてくる。ハード物がたくさんあるまちほど衰退が早い。

なぜかというと作るときは半分が国の補助、地元行政で半分の2分の一。

その後の維持費はどうなるかというと、まず全部自分。箱を抱えていたらその維持のために自己資金が過分にいる。

最後はスクラップということになるのでしょうが、古くなったアーケードのスクラップ代が捻出できず、新しいアーケードに作り替えることができない商店街が、あっちこっちある。

これからは、資産で勝負でなく、流動性で勝負だ。無いものをほしがるのでなく、あるものを磨くことだ。完全さにあこがれるのでなく、不完全さに味を見いだすことだ。

 

(街のアイデンティティに磨きを)

その土地の持ち味というものを自分たちが好きになって他所の人に見せてあげようというところからアイデアが出てくる。それに改造するのはカッコイイけれども守るというのは何かみっともない、ダサイようですけれどもね。

でも、守る勇気が、勇気だと思うのですが、あるかないかが、これからの地域の振興の死活を決めていくことは間違いがないと思うのです。

うまくいっているところは必ず守りに関心とエネルギーをかけている。愛媛の内子町や五十崎町の土建業者のみなさん方は、街並み、町の景観・風情を、町民とともに守ってきた。

今、少しゆれているようですが大分の湯布院もそうだ。

その守った物が、みんなから古いぞ、遅れてるぞ、取り残られて居るぞってバカにされていたものが、今になってみたら宝になっている。

横並び、他所の先進地にはけっしてみられない自分のまちを見つめて、自分のまちのアイデンティテイをほりさげ、みがきあげ、まちの風情を人に味わってもらう。そういう発想でものを考えていく。

でないと、今、うまくいったことが、明日の不幸をつくることになるのです。将来(さき)を見据えて、今何をやらねばならないか、何ができるか、を考え、明日ではなく、今からできることを、今から歩を進めてようではありませんか。ご静聴、ありがとうございました。(拍手)

会場:参加者Mさんからの質問

「中小企業で構成されていて、全国的に斜陽化の進む着物産業は復活させることできるであろうか」

 

講師:

中小企業は大企業のコピーしたとき、一番弱い。十日町を事例に出したら、石が飛んできそうなので、鹿児島県の大島紬を例に引きますが、伊勢崎市も同じ。

守るということのためにお金が流れてきているけれど、本当に守ることのために使っているのであろうか。

奄美大島の例ですが、紬会館をつくることが、なんで伝統工芸や技術を守ることになるのか。守るということは、なぜ衰退してきたかという本質原因を、えぐり出すことからはじまるのではないでしょうか。

それと着物を財産としてとらえるのじゃなくて日用の消費財としてとらえる。つまり消費者がどうやったら、着物を気軽に着てくれるかという問題が解決するようなところに研究費を投じる。

ハレの日はもちろん、ケのふつうの日でも、もっと欲言えば日常生活の中で消費者が着物を着て楽しめるシーンを作るといったところに金を投じる。

こういうことを考えていけば、復活できると思う。

後ろ向きの補助金とか周りの接助でなく、個々企業の販売努力で残ることは十分ありえる。しかしこのまま作る側のアプローチ、産業製品として博物館に展示してしまうといったありかたではだめ。

確実に落ちてきてゼロにかぎりなくなるだろう。

産業としてはだめになっても、産業として維持するために「困った、困った」と口を開けていたらどこから金が降ってくることをやり続けたことで、個々企業が甘え、弱くなった。特に消費者との接点部分が細くなってしまっている。

あたりまえだ。今の守る、というやり方ではダメだ。

マーケットを広げる。そのためには。使う用途を導いていかなければならない。

伝統工芸の持つよさというものを時間のかかる努力だけれども、一般消費者にアプローチする。ここへ視点とお金を向ける。

昔はそんなこと考えなくとも売れていた。洋服がないのだから、裸で歩くわけにはいかない。だから和服を着た。日常生活で必要だったから。

だから、着物を日常生活で必要な状態にもっていけば売れる。必需品になれば売れる。普段に着るようになると売れる。売れれば価格も下がる。

繰り返すが日常生活に不必要なモノが売れるケースは希有だからだ。

 

 

再び会場のMさんの質問:

「若い人に着物に興味を持ってもらうためには、どうしたらいいだろうか」

 

 講師:

100%のシェアで日本人が和服を着ていたのが、ゼロシェアの洋服が100%に転換したのは、すごいと思いませんか。法律や銃で強制的に転換したということではなく、ユーザーが洋服に良さを見いだしたこと。そういう方向へ持っていった、

洋服を造り売る側の意志と行動の積み重ねがあったと言う事実を認める。

その上でこれを洋服と和服入れ替えてみたらどうでしょう。

かつて和服を着ていた人たちが、それを捨て洋服に切り替えた。それは様々な価値判断の結果だと思います。もちろんファッション面も含めて。

しかし和服を一度も着たことのない世代の人は、捨てたわけでもなく、比較したこともない。

だとしたらむしろ両方を知っている人達よりも知らない人達に、この和の文化という背景から、和服の良さを説いていくことに意義があり、また効果も大きいのでは、と思います。

文化を変えた今の中高年より、若い人たちに新しく和の文化の価値観を開花してもらう。そこから初めて行かねば、と思います。

少なくとも彼らには悪いイメージがない。たとえばモンペなんて戦争映画化なんかで誤解されている。活動しやすい。そういうものを日常性に取り戻して行く作業が必要だと思う。

時間がかかるけれど、こうした方向性のある活動をすることが、正にまちにエネルギ一を生み、開花の兆しが見えてくる。

いつかはこうなるであろうというボヤーとした目標であっても、若い人に和の文化を背景とした着物のすばらしさを伝えることを中心にやっていく。

すぐに金になることとか、すぐに和服を着る人が増えてくるところにもっていくと花火になる。

こうしたこことがやれないと言うのなら、思い切って復活を断念したらいい。つまりこのままほっとけば済むこと。

復活させたいのであれば、和の文化を浸透させて、といった息の長い、根気のいる方法で、と言う意味で申し上げた。

どちらを選択されるかは、みなさんの意志決定の問題だ。

洋服だって、ある日突然、切り替わったのではない。やはり長い年月をかけて、シェアアップしていることを考えて取り組んでいただければと、思います。

 

             

会場Aさんからの質問:

「行政に具体的に話を持っていっても、民間の意向など聞き入れてくれないが」。

 

講師:

産地の振興に限ったことではないが、戦略が固まらなければだめだ。戦略に基づいて戦術が決まるからです。それを方法(戦術)ばかりが先に出てくるから行政でなくても受け入れられないのは当然だと思うのです。

行政をかばっているのではない。行政だって戦略ビジョンがないまま、戦術の行使を行うという、本来できないことをやっている。

つまり設計図がないのに、部品を持ってこられてもはめ込みようがない、というのが実態でしょう。もちろん他人が持ってきた部品より、自家製を、というごく人間ぽい理由もあるでしょうが。根本にはビジョ.ンがない。

つまり「どうした姿が理想で、10年先どういう形になり、そのプロセスの3年後はこうだ」という戦略が無いと言うことにつきると言ってよいと思います。

今までの行政は落ちているものを上がるというビジョンを描いてきて、なぜ落ちたものが上の方に上るようになるかということは、抜けていました。インフレーでしたからね。理由など無くても上がったから。

市長というのは、議会がオーケーもらった議案を執行する。自分で考えたことをかってにはやれない。では議案は誰が作るか。こうしたことを前提において考えたら、答えがでよう。

審議の議決は案件ごとになされる。執行も然りである。ですから戦略思考が希薄になる。さらに任期と選挙が、戦略的な思考を分断する。議案として出された案件の是非の論議であることで、起案されたモノ以外が、議案として論議されることはない等々、行政には戦略面に、機構的構造的弱点がある。

起案されたものでないと議案にならないのですから、起案されるところに持っていかなければどうにもならない。

起案は主査ぐらいが書く。もちろん書書かれる案は、彼がかってに書くわけではない。が、彼が起案した案件を、持ち回りかなんかで、関係者が印鑑をつく。いわゆる公安委員会で有名になった持ち回り稟議というやつです。

ここから我々がリーダーシップをとり、民意を取り入れてもらうには、という質問の答えになるわけですが、市役所の若い職員を民間の会や集まりに加えて、仲間として一緒にどんどん通るか通らないかわからないが、青年部の提案やアイデアをどんどん起案して投げこませることだ。

そうしたことをやって流れを変えないといつまでも天の声や圧力団体の陳情という形の旧来の方式が、民意というオブラートに包まれて、おごそかに議案として審議される従来パターンが続くことになる。

行政の若い職員を同士として、協力しあって青年部とともに、戦略に基づいた街づくりの起案を考え、どんどん上程する。

行政を俺の力で変えようと議員や市長になるのも方法の一つだが、それ以外にもあると言うことです。自分で自分に力があったら変えられる。

自分に地位や権力があった.ら世の中が変わるというのも若さの特権かもしれないし、あるいは錯覚かもしれない。でも民主主義は多数決で決まることも忘れてはならない。

そして多数決で一票の差で通るようにしたらいい。そのためには街を思う仲間、同士を増やし続けることです。その中に行政マンも加えて、ともに街を発展の構図に乗せていくことだ。

皆さんの情熱をぶつけて彼らが青年部といっしょにやろうという形で民意の規模を広げる。いい意味での数とパワーアップも民主主義だ。

そういう意味で、一人の意見が採り入れられないのは、冷たいお答えになるのですが、むしろもっとものことだと思います。

そのときその行政の人から「一人一人の意見聞いていたら、きりがない」といわれませんでしたか?(笑い)

 

 

会場Mさんの質問:

「行政を動かし、ことを進めるためのアプローチというか戦略と戦術について、聞かせて欲しい」

 

講師:

今,Aさんにお話したことにつきるわけですが、どうも十日町のみなさんは、行政を苦手とされているようで(会場笑い)。

それとも行政がよっぽど堅いところなのでしょうか。重複をできるだけさけて、別の角度から考えて見ましょう。

革命ができない今、民意、みなさん方の総意を、形にしていくためには具体化して行く道筋を誰が付け、それを誰が実行するのかというシナリオ描きをして、一歩づつ一口づつ革新していくこと以外に王道はないのではないでしょうか。

小さな成功をまず一つ作ること。一度ケモノ道ができたら、やがて人が通り、車が走り、国道になる。

街づくりだけではないが、空白空論が多すぎる。机の上や会議で街が変わる訳はない。自分で道を作らなければならない。誰かがやってくれるだろうという他人頼り、行政頼り、議員頼り、国頼り、等々の依存体質が街をだめにしてしまう。

だから誰に頼ろうかといった論議は無用だ。どんなすばらしい案があったとしても、実現の方法はただ一つ。「やる」しかない。

このまちは変わる。皆さんが行動すれば変わる。中に居たら当たり前の風景かもしれませんが、キラキラ光ったいっぱい宝石があるまちだ。

初めて十日町に来て感激したものが、先にもふれたが人の優しさだ。優しさといったものは、その人が受ける感じであるが、そう感じさせるのは、街の人たちの行動、動きといった形だ。

だからこの優しさという「感じ」は、まちの人々の具体的な行動をみての私の感じた実感です。こう考えると人情というのは無形だが実は無形じゃないことが理解できよう。

頭を下げるという行為とか行動の中に親切や、優しいを見るたことになる。これだけでもすごい。

それは「よそと違って」という隠れた複線、過去の経験との比較からは発せられたものだからだ。十日町でもあるいはそうかもしれないが、これがどんどんだめになってくる。こうしたことでも画一化の波さけられない。

たとえば、鹿児島の旧高城村、今、川内市に合併されているわけですが、ここを訪れる人は一応に感激する。何にか。

子供達が誰が通ろうが皆挨拶をする。交差点わたるとき、停まっている車に、「ありがとうございました」と頭を下げる。なぜ驚くか。よそでは「知らないおじさんに挨拶などしたらいけません。捕まって監禁されるよ」といっているから、そんな光景は考えられないからだ。

でもどっちが本来かと言うことがわかっているから、みな感激するのです。

疑うということが、信頼を壊している。文化を壊している。

否、人間を壊している。人が人を、つまり子供達が大人を尊敬し信用するという、当然のことが崩れつつある。

この無垢なものを大人が無残に砕いて、人をみたら「信用してはいけませんよ」と言わざるを得ない社会が、決していいものではないことを知っていて、皆つらいと思いながら行っている。

だから信頼できる人を、人々は求める。信用できる店や街で買い物をしたいと思っている。これが地元で物を買う根拠になる。地元の商人は信頼できる。そんな良き評判が浸透した店や街は盤石だ。

ところが現実はどうか。売らんがため、信頼していた街の商人も時として堂々とうそをつく。でなければ魚沼産のコシヒカリが生産量の90倍売られている事実は、絶対存在しないわけですよ。

だから、客が遠のいた。うそを付かれ、だまされたお客さんが、リピートする事ありませんからね。こう考えれば、私たちはこれからどうしたらいいか、わかりますよね。高邁な経営理論や繁盛論ではなく、信頼を取り戻すことを行動で、形に示していく。これ以外にないはずです。

言葉だけではだめです。

「真心を込めました」。そんな空自空論を言うからだめなのです。やさしさとか信頼というのはかけがえのない宝だ。これをいかに形として表していくかというところに行動に移し変えていくことです。,

人がやるのを待つから時間がかかるし不毛の諭理になる。一人一人がそういう目で動いていったら、そんなに時間がかかるモノではなのです。

まず自分が変わること。おかしい事についてはちゃんと言うこと。地元は言いにくい部分があるといって甘えている。言わなければまちはよくならない。

言う方がまちを愛している。無視する方がまちを壊している。村八分になっても二分あれば十分生きられる。公のことで孤立する勇気を持たねばだめ。 「私事(わたしごと)で、かみつくのとは全く違う。だからもっと、消費者や住民として、怒ってもの申さねばならない。

行政を決めるのも行政の給料を払っているのも我々だという自負心と誇りをもたなければならない。

ながされず、積極的に行政を活用しなければいけない。ほんとうに困るという切迫感があったら解決する方法がいくらでもある。まだ議論やっている間は甘い。

だけど早い間に先取りしてやらないと弱ってくる。

まず皆さん方が他人事じゃなくて我がまちは自分のまちだから自分で手直しができるだというところを中、長期的にだしていただきたい。

人に任せてもまちは変わらない。私心を忘れて、まちを思う情熱をぶっけていったら、協力者が増える。頑固者でも共感を得られる。

ところが自分は傷つかずに自分は汗を流さずにどっかの誰かがやってくれるひとばかりだから、人は動かない。

誰ひとりこのまちをだめにしようという人はいない。問題は戦術の違いだけ。まちを良くしたい戦略は共通。この戦略と共通の部分で話し合いを大きくエネルギー化してもっていって戦術は優先順序をつければいい。

金のかからず、すぐできること、明日からでもできることは、この今やることだ。即、行動することです。行動だけが変化を具現できるのですから。

 多くの皆さん方は議論をしてから、行動に移すパターンに入っているから、動けない。そもそも行動しなければ反省も修正も手直しもアイデアも出てこないではないか。うまくいくか行かないかを決めるのも議論ではなく、行動。すべて行動が先。

今日の話を皆さん方から賛同していただいらとしても、何も変わらない。どう明日から動くかだけが、変化、革新を起こす。

次の回の時に誰かが話しかけて賛同してくれた行政の人が何人来てくれたか。それぞれ何人かは皆さんの実績だ。そうやって変えていく。

現実が苦しいと現実を直視せずに夢を語ったりする。そうすると気が楽になる。

これを若者の特権にしちゃならない。夢というのは現実化するところに夢のすばらしさがある。夢を語ることが目的になっちゃだめだ。夢じゃ食えない。

だから人がついてこない。明後日のお金より今回のお金がほしいときに明後日を議論しても人はついてこない。だからお坊ちゃまの不毛の理論といわれる。

その証拠に、青年部時代にはあれほど街おこしに熱心になったのに卒会したら、普通のおじさんになったというのがいっぱいいる。

本人は「あれは麻疹かだったんだ」というけれど、麻疹で引っ張り回された人たちこそ馬鹿を見る。街づくりにはある意味では卒会がない。そのねばりがまちを動かす。

よく言われるのが村おこし、まちづくりは人づくりだ。リーダーがうちのまちにはいない。誰かが来るのを待っている。ず一と来なかったらどうなるのですか、このまちは。リーダーは自分でなければならない。

「あなた」なのです。

これだけの皆さん方が一つの戦略でそれなりに動いていただいたら変わります。

質問のお答えから、おおきくはずれてしまいましたが、これを締めの言葉とさせていただきます。いい示唆を含んだご質問に感謝します。

ありがとうございました。(拍手)

 

 

*本稿は、青年部1I月例会における講演を十日町商工会議所経営指導員庭野正行氏が議事録として、テープ起こしされたものを、田上が大幅に加筆修正したものである。庭野氏の労に厚く御礼申し上げたい。(田上康朗)

ところ'十日町商工会議所3階常議員室